「積極進取」を胸に歩んだ50年 サミーとは
パチンコ・パチスロメーカーとして遊技機業界を牽引しているサミーは、1975年11月1日に株式会社さとみの一部門であった娯楽機械製造・販売部門を発展させ、サミー工業株式会社として設立されました。以来、パチンコ遊技機、回胴式遊技機(以下、パチスロ※1)、アレンジボール遊技機※2、雀球遊技機※3の開発・製造・販売などを事業とし、近年ではポーカー等の新規事業にも進出しています。「積極進取」(せっきょくしんしゅ)を社是に、既成概念を覆す数々の業界初の技術・機能を搭載した遊技機を世に送り出し、業界の潮流を幾度となく変化させてきました。
代表作として知られているのは、累計販売台数約62万台を誇り、パチスロ史上歴代最大の販売台数を記録した『パチスロ北斗の拳』、パチスロAT機(アシストタイム)※4ブームの火付け役となった『獣王』など。「新しいものはサミーから」という開発方針のもと、市場に大きなインパクトを与えた作品は枚挙にいとまがありません。2004年には株式会社セガと経営統合し、セガサミーのグループ会社として現在に至ります。
※1 回胴式遊技機:一般にパチスロと呼ばれる遊技機の正式名称
※2 アレンジボール遊技機:盤面下部の1から16の番号付き穴(入賞口)に玉を入れ、中央の4×4マスのランプをビンゴのように縦・横・斜めに揃えてメダルを獲得する遊技機
※3 雀球遊技機:盤面の入賞口に入った牌(麻雀牌)で役を作り、その完成度に応じてメダルや玉が払い戻される、パチンコと麻雀が融合した遊技機
※4 パチスロAT機(アシストタイム):通常時では成立しても揃えることができない小役を、成立時に「狙うべき図柄」をナビし、プレイヤーの遊技をアシストする機能
思いを形にした1年間 50周年事業プロジェクトの舞台裏
2025年、サミーは設立から50周年という節目を迎えました。その記念として開催されたのが、12月の設立50周年記念式典です。プロジェクトが動き始めたのは、式典の約1年前、2024年の夏のことでした。プロジェクトを担当したのは、社長室 広報部の荒巻 則幸(あらまき・のりゆき)さんです。
荒巻
サミーらしく50周年を迎えるためにはどうしたらいいか。そして、これからの50年に向けて、どんなメッセージを届けるか。そう考えるところからスタートしました。
荒巻さんをはじめとしたプロジェクトチームは、パートナー企業や社内の関係部署と連携しながら、時間をかけて式典を丁寧に形にしていきました。迎えたサミー設立50周年記念式典は2日間にわたって開催。1日目は長年サミーを支えてきたお取引先の皆さんを中心に約900名のゲストを招き、50年の歩みへの感謝を伝えるフォーマルな場として、2日目はサミーグループ従業員約1,200名が集まる「サミー大感謝祭」として、それぞれ異なるテーマで構成されました。
東京国際フォーラムの式典会場に足を踏み入れると、1968年にサミーの前身である株式会社さとみより発売されたシューティングゲーム『ソナーアタック』をはじめとする、創業期のアミューズメント機3台と当時の写真が展示され、来場者を出迎えます。さらに、通路には1975年から2025年まで50年間の歴史を記した「サミー50年の軌跡」の巨大パネルが飾られ、こちらも来場者の目を引きました。
『ソナーアタック』の実機
50周年の軌跡の巨大パネル
式典がはじまると、冒頭を彩ったのは、ビッグバンドによる演奏です。『獣王』や『パチスロ北斗の拳』などパチンコ・パチスロの歴代ヒット機種の名曲が次々と演奏され、会場は一気に熱気に包まれました。
式典1日目は、ビッグバンド演奏の後、サミー創業者である里見 治(さとみ・はじめ)取締役名誉会長の主催挨拶、そして名誉会長の意思を継ぎ、セガサミーグループ全体を率いる里見 治紀(さとみ・はるき)代表取締役会長CEOの乾杯へと進み、最後は星野 歩(ほしの・あゆむ)代表取締役社長執行役員COOが今後の決意を述べました。創業者の里見 治名誉会長は「50年を振り返ると、設立当初は苦しいことも多く、設立から20年が経った頃から挑戦できる環境がようやく整ってきました。お取引先の皆さんや社員に支えられ、私はいまここに立っていられます。50年という大きな節目を無事に迎えることができ、皆さんに心から感謝申し上げます」と、50年間の感謝の思いを語りました。
里見 治 取締役名誉会長
2日目の“サミー大感謝祭”は、グループ従業員約1,200名が参加。サミーに関するクイズ大会なども催され、こちらも大いに盛り上がりました。
荒巻
まずは無事に終えることができてホッとしたというのが率直な感想です。設立50周年記念式典では、単に過去を振り返るのではなく、これまでサミーを支えてくださった皆さんへの感謝と、これからの50年への期待、その両方をどう伝えるかを意識しました。サミーには全社一丸で本気になれる熱量があり、社是である「積極進取」のもと、まずは挑戦してみようという精神が息づいていると考えています。序盤のビッグバンド演奏についても、その“熱量”をさらに一段階上げてほしいという思いで取り入れました。2日目の「サミー大感謝祭」でも、グループ従業員の皆さんに向けてどのように“サミーらしさ”が感じられる企画を展開するか、メンバーで議論を重ねました。当日の会場で、お客様やグループ従業員の皆さんの笑顔を見ることができ、私たちの思いが少しでも伝わったのだと感じ、心から良かったと思っています。
92台が語る50年の歴史 そして『ミラクル』が帰ってくるまで
式典会場でひときわ多くの来場者が足を止めたのは、壁面を埋め尽くした歴代遊技機の展示コーナーでした。
展示内容は、パチスロ45台、パチンコ36台、アレンジボール・アレパチ合計9台、そして50周年を記念して特別制作されたパチスロ・パチンコの特別仕様機各1台。パチスロでは1982年発売・サミー初のパチスロ0号機『エンパイア』やサミー初の1号機『ナイアガラ』、パチンコでは1995年発売の『CRくだもの畑』や1996年発売の『CRガオガオキッズ4』など「サミー工業」時代のものから始まり、合計92台の筐体が、創業期から最新機種まで時代を追って並べられました。
この展示を担当したのが、社長室 広報部の奥田 幸志(おくだ・こうじ)さんです。
式典の約4〜6ヶ月前から機種のリストアップを開始し、機種選定では「会社の業績への貢献」「市場での評価・影響」「業界初の機能・仕様」を主な基準としたと言います。
奥田
『パチスロ北斗の拳』や、パチスロAT機ブームの火付け役となった『獣王』など、会社に大きく貢献した機種や業界の流れを変えた機種を優先しました。台数を絞り込む選定では、関係者それぞれに思い入れのある機種があり、その思いも理解できるだけに、意見をまとめるのに苦労しました。
サミーでは遊技機の主な製造を埼玉県川越市にある「サミー川越工場」にて行っており、多くの歴代筐体も保管されています。展示された92台のうちおよそ9割は川越工場の倉庫に保管されていたものですが、電源が入らない状態のものも多く、開発チームがメンテナンスに奔走。まさに全社を挙げての展示となったのです。そして展示に向けて最も難航したのが、1973年発売・サミー初のアレンジボール『ミラクル』、1982年発売・サミー初のパチスロ『エンパイア』の確保でした。
サミー初のパチスロ0号機『エンパイア』
特に『ミラクル』は、当時の社名「株式会社さとみ」時代に製造された、サミーの礎ともいえる創業期の筐体です。
サミー初のアレンジボール『ミラクル』
奥田さんは50周年の年表制作に向けて業界誌のバックナンバーなどを調査する中で、社内にほとんど記録が残っていない創業期の機種『ミラクル』の存在を知ったと言います。調べてみると、川越工場の倉庫にも現物はありませんでした。そこで奥田さんは、サミー公式X(@sammy_corp)で、ある呼びかけ投稿を行うことに。
「パチスロ〝エンパイア〟とアレンジボール〝ミラクル〟を探しています」
実際に投稿されたお知らせ
SNSを駆使して情報収集を試みた奥田さん。この投稿には多くの反応が集まりましたが、実際に筐体を所有している方からの反応はほとんどなかったと言います。しかし、転機は予想外の形で訪れました。投稿とは別のルートでも情報を探し続けていたところ、セガサミーグループ内に趣味でレトロゲームなどを長年収集している社員を発見。その人脈を頼ると、奥田さんは遊技機コレクターのネットワークに辿り着きました。そして、コレクターのお一人が「自分の知り合いに、『ミラクル』を持っている人がいる」と教えてくれたのです。グループ内の人脈も活かしながら、人づてのネットワークをたどった末に、ついに『ミラクル』を見つけ出した瞬間でした。
奥田
コレクターの方から『ミラクル』所有者の方に繋いでもらい連絡をとりました。お譲りいただけるかお尋ねしたところ、所有者の方は「メーカーが大切に保管してくれるなら、本望です」とおっしゃってくださり、譲っていただけることとなりました。
その後所有者の方とのやり取りを経て、サミーに届けられた『ミラクル』は、1973年当時の価格表、段ボール、説明書、コイン、鍵まで一式が揃った、驚くほど保存状態の良いものでした。奥田さんはその足でちょうど会議中だったサミー役員の皆さんに『ミラクル』を持参したといいます。
奥田
その場にいた役員全員が『ミラクル』の実機を見るのは初めてでした。サミーの礎ともいえる創業期の筐体を直に見ることができ、皆さん大いに沸いていました。
式典当日、展示コーナーに並んだ『ミラクル』の前では、来場者が足を止め、当時を懐かしむ声や驚きの声をあげていました。他にも自分が営業に関わった機種や開発に携わった機種……それぞれが一台一台に想いを持って眺める光景があちこちで生まれていました。
式典で展示された『ミラクル』
「本来あるべき場所に」。 『ミラクル』を手放した、ある収集家の決断
『ミラクル』をサミーに提供したのは、関西在住の遊技機コレクター、「たかポン太」さん(SNS「X」のハンドルネーム)です。パチスロ約200台、パチンコ約30台を収蔵する遊技機コレクターの、たかポン太さん。1988年、18歳でパチスロ・パチンコと出会って以来、40年近く遊技機の世界に魅了され続けています。
お顔を隠すことを条件にインタビューに応じていただいた、たかポン太さん
そんなたかポン太さんが『ミラクル』を手に入れたのは、今から約15年前に遡ります。
たかポン太
元々『ミラクル』は、北海道のアレンジボール店のオーナーの方が持っていたものなんです。そのお店の開業1号機で、閉業するときまで長年大切に残していたものをお譲りいただきました。届いた『ミラクル』は本当にいい状態で、当時の販売元である株式会社さとみからの備品の追加注文用のFAX用紙まで付いていました。本当に当時の空気がそのまま詰まっているというか・・・。お店の歴史を象徴する台を大切に保管されてきた元オーナーの想いを知ったら、簡単に手放すことなんてできません。でも、自分が歳を重ねて筐体の収集・管理を続けることができなくなる前に、大切にしてくれる人を見つけて、譲らなあかんと思っていました。
貸倉庫には所狭しに筐体が並んでいた
それほど思い入れのある台を手放す決断をしたきっかけは、サミーが『ミラクル』を探しているという知らせでした。SNSでのサミー公式の呼びかけ投稿より前に、たかポン太さんには遊技機コレクターの仲間から連絡が届いたといいます。
たかポン太
遊技機コレクター仲間から「『ミラクル』持っていたよね? サミーが探しているらしい。」と連絡が来て。その後、Xでも公式の告知が出ました。お金が必要だったわけではなく、サミーに引き取ってもらうのが一番ええな、と思いました。
たかポン太さんが何よりも大切にしていたのは、『ミラクル』がこれまで大切にされてきたという歴史をつないでいくことでした。
たかポン太
将来的には、製造元のメーカーに持っていてもらう方がいいと考えていました。大切にしてもらえるなら本望、という気持ちでしたね。
こうして『ミラクル』はサミーのもとへ。たかポン太さんは発送の前夜、自身のガレージで『ミラクル』をプレイし、その様子を「本当に最後の遊び 本来あるべきところに戻ります 幸せな台です」とXに投稿しました。(実際の投稿はこちら)
たかポン太
若い頃は毎日パチスロで真剣勝負をしていました。でも、それだけだと疲れます。そのとき、楽しみとしてアレンジボールや雀球を打つと、とても癒やされるんです。『ミラクル』を打って、また次の日からパチスロの勝負に戻る。『ミラクル』は、当時も、お金じゃない喜びを僕に与えてくれました。
パチスロ『ナイアガラ』は目押し力を鍛えてくれた思い出の一台だという
最後にたかポン太さんは、遊技機業界全体への想いをこう語ってくれました。
たかポン太
僕はパチスロとともに青春時代を過ごしました。本当に楽しかったですし、いい思い出がたくさんあります。サミーには今後も多くの人を夢中にさせるものを作っていってほしいです。また、メーカーが中心になって、筐体を日本の文化財として残す活動を始めてくださることを期待しています。サミーがもし将来的に「博物館を作ります」と呼びかけたら、全国のコレクターが喜んでコレクションを提供すると思いますよ。
一人のコレクターの決断が、サミー設立50周年記念式典の展示を完成させました。北海道のオーナーからたかポン太さんへ、そして、サミーへ。1973年の製造から、『ミラクル』が旅した50年以上に及ぶ時間は、遊技機が多くの人の人生に寄り添ってきた歴史そのものでもあります。
ここから始まり、次の50年へ
式典を終えた荒巻さんが、改めて感じたことがありました。
荒巻
今回の50周年事業プロジェクトを通じて、サミーという会社には諸先輩方が積み上げてきた長い歴史があるだけでなく、本当に多くのファンの方や、お取引先の皆さんの存在があるのだということを改めて実感しました。そうした思いや背景を、これからも丁寧に外へ伝えていきたいと思っています。これからのサミーにも、ぜひご期待ください。
式典後に実施したアンケートでは、「サミーの社員でよかった」という声が届いたといいます。そして、『ミラクル』を譲っていただいた、たかポン太さんの「本来あるべき場所に戻ります」というメッセージ。それらはすべて、50年という時間をかけてサミーが積み上げてきた信頼と、ブランドへの愛着の証といえるでしょう。受け継がれてきた「積極進取」の精神、「新しいものはサミーから」という開発方針を礎にした、未来への期待。設立50周年記念式典は、様々な方への感謝とともに、サミーが50年で積み上げてきた企業としてのアイデンティティを再確認し、次の50年へ踏み出す契機となったはずです。設立から50年を経たサミーが掲げるテーマは「挑戦から、冒険へ」。今後のサミーが紡ぐ数々の冒険物語にも、期待が高まります。
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