戦評・コラム
2024年セガサミー野球部/ルーキー紹介②下薗咲也投手 変幻自在の変化球を武器に、「中継ぎ」を極める技巧派左腕
2024/04/05

細身な体躯から変幻自在に変化球を操る下薗咲也は、自身の長所を最大限に活かす術、いわば自らのスタイルを熟知する左腕だ。
「守備の時間を短くして、守備から攻撃のリズムを作る、テンポのいいピッチングは常に心掛けています」
カーブ、スライダー、カットボール、チェンジアップを操る下薗は、それぞれのスピードを変えながら、何種類にも変化するボールで打者を討ち取る。まさに、捕手との共同作業から生まれる配球勝負のスタイルで、自らの「生きる道」を見出してきた。
「自分というものを捕手に知ってもらわないと、ピッチングが成り立たないタイプだと思っています」
鹿児島県阿久根市出身の下薗は、大川小学校1年生から『オール阿久根』という硬式野球チームの小学部でプレーした。5歳離れた兄、そして鹿児島県の川内実業高校(現・れいめい高校)時代に甲子園に出場した経験を持つ父親の影響で、自然と野球と触れ合った。
「小学生の頃は、左利きでも捕手をやったり、すべてのポジションを守っていました。足が速いほうだったので、打順は一番が多かったですね」
オール阿久根の中学部でもプレーした下薗は、九州・沖縄・山口地区の6つの中学硬式野球クラブが集う『ホークスカップ』にエースとして出場した。高校進学にあたり、多くの強豪校から誘いを受ける中、下薗が選択したのは地元から遠く離れた埼玉県の浦和学院高校だった。
「飛行機に乗ったことがなかったので、遠い場所にしました」
悪戯っぽく笑いながらも、「本当にそうなんです」と決断理由を話す下薗は、覚悟を決めて進んだ浦和学院高校でも確かな歩みを見せた。2年夏には背番号17をつけて甲子園出場。第100回の記念大会で3回戦まで進出。全国制覇を成し遂げる大阪桐蔭に負けるのだが、聖地の空気を存分に味わった。同年秋は背番号8。チーム事情もあって中堅手も担いながら、俊足の下薗は一番打者として活躍した。3年生になるとエースナンバー。「一番・投手」としてチームを牽引した。
上武大では投手一本。1年秋からリーグ戦のマウンドに立ち、主に中継ぎとして、時には相手チームとの相性も見ながら先発を担う。3年秋には先発として3勝をマークした。
「得るものが多い大学時代でした。野球の成長もそうですが、人間的な成長が一番だったと思います」
自らの「生きる道」を探して、現在の投球スタイルを確立したのは上武大時代だ。セガサミーでも、最速143キロは出るストレートの平均球速をさらに上げつつも、そのスタイルを変えるつもりはない。
「自分の能力を最大限に出して、いかに長く野球ができるか。そこを追い求めていきたい。大学の先輩でもある横田哲さんのような投手になっていきたい」
背番号は39。「咲也(さくや)」の名を表す番号だ。上武大でもつけた思い入れのある数字を背負って、社会人野球では長く華やかに、大輪の花を咲かせるつもりだ。

