戦評・コラム
2024年セガサミー野球部/ルーキー紹介④神山福生外野手 ハイレベルな俊足巧打で外野の定位置を狙う韋駄天
2024/04/19
国学院大4年春には、リーグ最多タイとなる5盗塁。リードオフマンとして活躍した神山福生の最大の武器は、ダイヤモンドを颯爽と駆け巡る脚力だ。
「社会人でも、自身の売りである足を活かしていきたい」
東京の下町で育った神山の球歴は、ソフトボールが始まりだ。葛飾区立西亀有小学校1年から西亀有イーグルスでプレー。5年生になると名門チームである東京北砂リトル(硬式)に移り、本格的に野球を始めた。主に中堅手として活躍しながら、打っては一、二番。当時から、その俊足は光った。青葉中学校1年夏には全国大会で優勝。リトルリーグ特有の年齢制限によって出場こそできなかったが、日本代表として挑んだ世界大会(アメリカ開催)では3位に輝いた。中学生の硬式野球チームである新宿シニアに移ってからも俊足の内野手としてならした神山は、国学院久我山高校に進学してさらにその能力を磨いた。
高校2年秋から二塁のレギュラーポジションを掴み取ると、3年春からは二遊間を担う守備の要として活躍。高校最後の夏は遊撃手、打っては三番に座り、同校にとっては1991年以来28年ぶりとなる夏の甲子園出場を果たした。
「当時の西東京大会は東海大菅生高校が優勝候補。その強敵を準決勝で3対1のスコアで破って、決勝では創価高校に勝利。甲子園では2試合で3安打。憧れの場所だった甲子園球場でプレーできたことは、素直に嬉しかった」
内野手として入学した国学院大でも期待値は高かった。だが、1年時は新型コロナウイルスの影響で春季リーグ戦が中止になるなど、「なかなか野球ができなかった」と振り返る。
「2年生では肩を、3年生では肩肘を怪我して、しばらく投げられない時期が続いた。4年生になってやっと野球ができるようになり、1年間を通してプレーできたのは大学最後のシーズンだけでした」
4年春に活躍はできたものの、そのリーグ戦前までは「一般就職を考えていた」という。
「大学での成績を考えると、社会人野球までできるとは思っていなかった。でも、野球がやりたい。そう思うようになって、声をかけていただいていたセガサミーでプレーすることを決めました」
東京スポニチ大会のリーグ戦1試合目。東海理化戦の6回裏から守備について社会人デビューを果たした神山は、8回表に巡ってきた公式戦初打席でライト前ヒットを記録した。途中出場ながらに毎試合でグラウンドに立ち、Hondaとの準決勝でも9回裏に二塁への内野安打だ。上々の滑り出しを見せた神山は言う。
「評価していただいている足を活かしながら、打撃では出塁率にこだわってやっていきたい。四球も含めて、とにかく出塁率を高めてチームの勝利に貢献したい。都市対抗での優勝を目指します」
プロ入りも視野に入れながら、「チームのために」と熱い思いを抱く神山は、1年目からの飛躍を誓う。